来年2009年は横浜開港150周年なのである、
何故か、マスターは横浜が大好きなのである。
そして今年2008年は日米修好通商条約150周年のお祝いが
彦根で開かれることになっている。
http://www.city.hikone.shiga.jp/index.html
実は、日米修好通商条によって横浜も神戸も出来たのである。
大げさに言うと、彦根が横浜を作ったのだ!
横浜は砂浜のままだったかも知れない?
くわしくは『ウィキペディア(Wikipedia)』↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%B1%B3%E4%BF%AE%E5%A5%BD%E9%80%9A%E5%95%86%E6%9D%A1%E7%B4%84
現実無視の攘夷思想の人たちの反対にあいながら、
現実的な舵取りを命がけで行った老中 井伊直弼
結果、日本は列強の植民地にならずにすんだのだった。
もし、国力を顧ず強行に外国船打ち払いなどをしていたら、
日本は、独立を侵された惨めな国になっていただろう。
しかし、その後、井伊直弼はテロリストの凶刃に倒れることに・・・
そのため、彦根では、永い間、納豆が食べられることは
無かったということだ。
(今では、水戸市とは姉妹都市になって仲良くしている。)
その後、尊皇攘夷を叫んでいた奴らはいつの間にか
ちゃっかり開国派に変身して権力を奪うことに成功する。
結局、開国の成果は、こいつ等のものになった。
歴史も彼らによって都合の良いように書き換えられた。
反対に、それまで中央政権に近かった彦根はずっと
不名誉な苦難の道を歩むことになったのだった。
その後、彦根の名誉の回復までにはおよそ100年の
月日が必要だった。
長い間勝手に不平等条約を結んだ
のは、彦根の弱腰の所為であるとされてきた。
そして彦根の人は役人になっても決して出世できないと
言われていた。
今では、近代化の基をすえたのは彦根であることが
正しく理解されている。
http://club.pep.ne.jp/~bengotoshi/noge/kamonyamakouen.htm
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