映画 神童 触発されるという事について考える。
話題の映画 「神童」を見てきました。
ピアノを弾く少女が主人公の映画なら見ておかなければなりません。
京都の みなみ会館 という映画館でロードーショーをしています。
下の写真は 映画の帰り道 東寺の前で撮ったもの
パンフレット 700円也を買いました。
もう1人の主人公が音大を受験していた浪人生の和音
13歳の天才少女と 出会って見事 音大に
トップの成績で入ります。
和音は 八百屋の息子で 音楽的な訓練などに
無縁なところで育ってきた男の子ですが
音楽が好きという素朴な情熱と 良い耳をもっています。
音大にトップの演奏で合格した和音ですが、
音楽的な素養がないため 初めに担当した教官に
見捨てられます。
次に担当した先生は、和音にフレーズ感や呼吸などを
会得させるために、声楽の伴奏者として和音を
送り込みます。
さて、話は この間のピアノステップのことに戻るのですが
ピティナピアノステップと普通の発表会はどう違うのだろうか?
という問題をこの8年彦根地区のステップを開催しながら
考えてきました。
初めは、同じようなメンバーの子供たちがピアノを演奏するだけで
そこにアドバイザーの先生の評価が付くだけのものと思っていました。
でも、ときどき 「触発されるような演奏」に 出会うことがあります。
いわゆる「後光が射しているピアノ演奏」というヤツです。
コンクールに情熱を燃やしている人の演奏だけとは限りませんが
クオリティーの高い演奏に出会うと、その場にいた人は何故か
「触発される体験」をするのです。
これは、生徒も またピアノを指導する先生も同じです。
映画のすばらしさをすべて 文字で語れないように
音楽の 後光の部分は 実際に 目の当たりにしないと
「触発される」ことはないでしょう。
そのような 積み重ねが 人を成長させていくのだろうなと
感じている今日この頃なのでした。
栗田楽器
栗田音楽教室
http://www.pianoya.net/pianoya_029.htm
防音室の入り口
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